続 陸の男と海の華
「左之助〜御飯ですよ〜!」
村人達と畑を耕す左之助に声を掛けたのは、海の御殿から左之助の妻となるためにやって来た、海の王の剣心様です。剣心様が人間になって、左之助と共に暮らすようになってから早、一年が過ぎようとしておりました。
「剣心!?もう、そんな時間か?・・・お〜い、皆メシにしようぜ〜!!」
左之助と村人達は、おいしそうな剣心様のお弁当に集まります。実を言うと、今でこそ料理も上手になった剣心様でしたが、陸に住み始めて間もない頃は、料理も洗濯もそれはもう、散々なものでした。・・・無理もありません、お小さい頃から沢山の侍女や家来に囲まれて、剣心様は御自分で髪を梳いたことすら無かったのですから。
そんな、何不自由ない生活を送ってこられた剣心様にとって、全てを自分の手でやらなければならない陸での生活は、とても厳しいものでしたが、剣心様は決して海へ帰ろうとはなさいませんでした。
だって、この世界には左之助がいます。自分のことを陸も海も関係なく、ただ『愛している』と言ってくれた左之助が・・・。
「左之助、おいしい?」
「ああ!お前ぇの作った飯が一番うめえ!!」
泥だらけの顔でおにぎりを頬張る左之助を、剣心様は愛しそうに見詰めます。一年前、左之助が手に入れた秘宝『海の華』の力を使えば、どんな贅沢だって出来るのに、左之助は自分が楽をするためだけに、その力を使うことはありませんでした。村人が病気になったり、村に危険が迫った時だけ、左之助は『海の華』を使うのです。
自分一人だけが幸せになることを良しとせず、貧しいながらも暖かい毎日を選んだ左之助が、剣心様は大好きでした。
『このままずっと、左之助と幸せに暮らせますように。』
毎日剣心様は、『海の華』にそうお祈りするのでした・・・。
「え?・・・お休み?・・・」
入浴の後、櫛で洗い髪を梳く剣心様の後姿に左之助が話し掛けます。
「ああ、修たちがな、明日の畑仕事変わってやるから、久し振りにゆっくりしてこいってさ・・・」
左之助は熱燗した酒を飲みながら、ゆっくりと剣心様に近付き、柔らかな膝の上に頭を乗せました。
「なあ、剣心は何処に行きたい?・・・」
子供のように自分に甘える左之助が可愛くて、剣心様はそっと頭を撫でてやります。暫らく黙り込んでいた剣心様でしたが、やがて、言い難そうに口を開かれました。
「海へ・・・行きたい・・・」
「・・・え?」
剣心様の言葉を聴き、左之助の表情が一瞬強張りました。剣心様と共に暮らすようになってから、左之助は全く海へ行かなくなりました。海に行けば、剣心様が海の世界を恋しがり、『帰りたい』と言い出すのではないかと、恐れているのです。
「ごめんなさい。左之助・・・言ってみただけだから、もう忘れて・・・」
「・・・構わねえよ、行こうぜ?海へ」
無理に明るく笑おうとする剣心様に、左之助はそう言いました。
「・・・いいの?」
「ああ、海へ行くんなら、明日は早く起きねえとな。もう寝ようぜ?剣心」
「左之助ぇ・・!」
剣心様は左之助に抱き付くと、泣き出してしまいました。
「おいおい・・・剣心・・・泣くなよお・・・!」
焦った左之助は剣心様をぎゅっと抱き締め、背中を擦ってやっています。でも、剣心様は泣きやみませんでした。
「左之助・・・有難う・・・!」
ひっく、ひっく、と泣きじゃくりながら、剣心様は左之助の胸に顔を埋めます。
「何言ってんだよ、剣心・・・俺達ぁ夫婦じゃねえか・・・どっちかが我慢するなんていけねえぜ?・・・」
「うん・・・うん・・・」
翌日は天気にも恵まれ、波も穏やかな最高の外出日和でございました。剣心様は朝早くから弁当を作り、左之助は釣りの道具を持って、海へとやってきたのです。剣心様にとっては、一年ぶりに見る懐かしい故郷・・・。
海の世界が恋しくない、と言えば嘘になります。剣心様は生まれてからずっと、何百年という長い年月を『海の御殿』で過ごして来られたのですから・・・。
「綺麗・・・」
剣心様はポツリと呟くと、海を見詰めたまま立ち尽くしておいででした。
「剣心・・・」
左之助は、剣心様の細い肩をそっと抱きました。そうしていないと、剣心様を海の世界へ連れて行かれそうな恐怖に襲われたのです。そんな左之助を安心させてやるかのように、剣心様は逞しい左之助の胸に、そっと寄り添いました。
「左之助・・・有難う・・・私にもう一度海を見せてくれて・・・」
剣心様は、左之助の頬に小さな両手で触れました。
「左之助・・・私はお前が好きです・・・」
「剣心・・・」
剣心様の笑顔は、まるで憑き物が落ちたように晴れやかなものでございました。
「私の気持ちは本当です。今日、再び故郷をみて思いました。・・・私はやっぱりお前の傍に居たい・・・」
剣心様にとって、一番大切なものは左之助でした。故郷も、万能の力も、永遠の命も、左之助のためなら惜しくはなかったのです。
「剣心・・・オレだってお前ぇが好きだ・・・」
左之助は大きな両腕で、剣心様の身体を優しく包み込みました。
「絶対・・・離さねえからな・・・剣心・・・」
波の音だけが静かに繰り返し響く中、左之助と剣心様は、いつまでも抱き合っておりました・・・。
左之助と剣心様が、陸の世界で幸せに暮らす一方、海の御殿ではとある問題が起こっておりました。剣心様が居なくなってしまわれた後、王位継承をどうするのか、と言うことで、剣心様の側近達の意見が分かれてしまっているのです。
「オレは絶対に反対デス!!」
「だが、剣心様がいらっしゃらない以上、薫様が王位を継ぐのは当然のことだろう?」
剣心様が居ない今、事実上国の政治を行っているのは、剣心様の腹心の部下であった、蒼紫と縁の兄弟でした。
海の王は代々、『海の都』に、敵の侵入を防ぐための結界を張るという役目をもっておりました。いくら平和な海の世界といっても、全くの敵なしと言うわけではありません。海の都の繁栄を嫉む、海の外道たちがいるのです。彼等は海の世界で罪を犯し、追放になった者達や、海の王達に姿を変えられた、人間の集まりでございました。彼等は、『いつか海の都に復讐してやろう』と、隙あらば攻撃を仕掛けて来るのです。海の結界は、奴らから民達を守るために無くてはならないもので、その結界を張ることができるのは、海の王だけなのです。
特に、剣心様の御力は歴代の王の中でも群を抜いており、国民達に絶大なる支持を受けておりました。その剣心様が、たった一人の貧しい陸の男に御心を奪われ、海の御殿を出て行った、という話はたちまち国民達に広がり、剣心様がいなくなった後、海の都はどうなるのか?と、不安の声は高まる一方なのです。国民達の混乱を避けるためにも、これ以上の王の不在は避けなければならないというのに、弟の縁は未だに、妹姫薫様の王位継承を認めようとはしないのです。
「オレは薫様のコトを否定してイルんじゃナイ!!剣心様がいつお帰りになるかも解らないノニ、不謹慎だと言っているんデス!!」
兄の蒼紫は大きな溜息を吐きながら、弟に諭すように言いました。
「・・・剣心様は、もう帰っては来ないさ・・・」
その言葉に縁の表情が凍りついたのを、蒼紫は見逃しませんでした。この弟が、剣心様に特別な感情を抱いていることなど、とうに蒼紫は見抜いていたのです。
しかし、剣心様はもう、陸へと行ってしまわれました。どんなに縁が思い、慕おうとも、人間になった剣心様の眼には、海の世界の者は魚にしか映らないのです。
「そんなコトは・・・」
「『無い』と言い切れるのか?」
蒼紫は弟を可哀想に思いながらも、一番痛烈な一言を放ちました。
「剣心様が愛しておられるのは、あの陸の男だ。剣心様は、人間となってあの男と一生、添い遂げることを望まれた。ならば、剣心様の御望みを叶えて差し上げるのも、俺達の務めではないのか?」
「・・・・デモ・・・オレは・・・」
縁は血が滲むほど拳を握り締め、その肩は小さく震えておりました。自分はずっと、何百年という長い年月を剣心様とともに過ごしてきたのに、ほんの一時、迷い込んで来ただけの陸の男に、剣心様を奪われてしまったのです。
「・・・兄サン・・・オレ・・・陸に行って来マス・・・」
「・・・・縁!?」
「いくら剣心様が人間になろうと、オレのコトは解るはずデス!・・・もしも、剣心様がアノ男に心惹かれ、オレのコトも解らなくなったのナラ、剣心様はもう・・・帰っては来ないでショウ・・・だから、その時は、薫様の王位継承を認めマス・・・」
長い沈黙の後の縁の言葉に、蒼紫は驚愕を隠せませんでした。人間になってしまった海の住人が、ただの魚と海の世界の者を見分けることなど到底不可能なのです。そんなことは縁も良く解っている筈なのですから・・・。
「・・・じゃあ、兄サン・・・」
海に差し込む光を受けて、銀色に輝く鎧に身を包んだ弟は、陸の世界へと行ってしまいました。きっと弟は、いつ海へやってくるかも解らない愛しい人を、逢えるその日までずっと水面で待ち続けるのでしょう。もし、逢えたとしても、今よりもっと悲しくなるはずなのに・・・。すべて承知で、それでもこの弟は行くのです。
「馬鹿な事・・・ではないのだろうな・・・」
蒼紫は寂しそうに背を向けると、海の御殿へと戻っていきました・・・。
陸に辿り着いた縁は、水面から顔を出すと、剣心様を探しました。もし、今日海に来ていないのなら、何日でも待つつもりでいました。
その時、縁の眼に一隻のみすぼらしい小船が映ったのです。縁は小船に近付くと、思わず眼を瞠りました。
小船に乗っていたのは、あの陸の男と・・・間違えようも無い、懐かしい剣心様のお姿でした。小船の上の剣心様は、海の御殿にいた時からは想像も出来ないほど、貧しい身なりをし、真っ白だった手は、慣れない水仕事で荒れ果てておりました。けれど・・・愛しい陸の男の腕に抱かれ、胸に頬を寄せてまどろむ剣心様の顔は、海の世界では見せたことも無い、満ち足りて・・・幸せそうな顔でした。
「おい、剣心・・・見て見ろよ・・・」
呆然と、二人の姿を見ていた縁の姿に、始めに気付いたのは左之助でした。
「銀色の魚だぜ・・・珍しいなあ・・・」
人間の左之助には、やはり、縁は魚にしか見えませんでした。剣心様は左之助の声に、透き通るような瑠璃色の瞳をゆっくりと、縁の方へ向けられたのです。
「剣心様・・・」
思わず、縁は愛しい人の名を口にしておりました。人間になってしまった剣心様には、聴こえるはずも無いと解っていましたけれど・・・。
「本当に・・・綺麗な『魚』・・・」
「―!」
剣心様の一言に、縁は全身の血が凍りつくような感覚に襲われました。自分の姿を見て、剣心様は間違いなく『魚』と仰ったのです・・・。
「そんな・・・剣心様・・・」
御自分の前にいる縁にはさして興味も無さそうに、剣心様は、左之助の胸に再び顔を埋めて、眠る前の赤ん坊がぐずるように、顔を左右に動かしました。
「何、甘えてんだよ・・・剣心・・・」
剣心様をぎゅっと抱き締め、だらしない顔で笑う左之助・・・。誰が見てもこの二人は、幸せな夫婦そのものでございました・・・。
――――・・・ぱしゃんっ
水の跳ね上がる音が一度だけ、剣心様の耳に届きました。剣心様は水面に視線を移しましたが、もうそこには縁の姿は無く、ただゆらゆらと小さな波が揺れているだけにございました。
(・・・ごめんなさい・・・縁・・・)
剣心様の瑠璃色の瞳から、一滴の涙が零れ落ちました・・・。
左之助にも、縁にも、誰にも気付かれること無く・・・。
陸の男と海の華へ / 陸の男と海の華 完へ
このお話は『陸の男と海の華』の続編として完結編と共に、左之剣投稿サイト
さまへ投稿させていただいたものです。このお話と完結編は、ほとんど修正しておりません。
力尽きました・・・ガク;;;
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